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第7話 罠

last update publish date: 2026-06-15 13:00:14

「皇帝陛下、皇帝陛下。いずこに?」

私は廊下を歩き、皇帝を捜していた。

「皇帝陛下。梅皇貴妃が隼の餌を持ってきましたよ」

しーんとしている。廊下をすたすたと歩く音と私の呼び声。それだけが響く。

中国の王宮は静寂を好むのか。

騒がしさとは無縁のようだ。

「だれかおらぬか? 皇貴妃じゃ。梅妃が皇帝を捜しておる」

中国の王宮で暮らす私の身分は皇貴妃。

現世の主婦から貴族へと華麗に転身、異世界転移して第二夫人の体になった。

姿は現生の私とほぼ変わらない。

現世に夫を残して未練はないが、皇帝の愛がほしい。

夫似の召使にそそのかされた。

皇帝の寵愛を得たいなら、皇帝が愛玩する隼の喜ぶニワトリを園庭に放ちなされ、と。

単純な私は、それがいいと思った。

生きたニワトリをゲットしに、厨房の裏へ行った。

そこには大きな竹籠があり、中に生きたニワトリがたくさんいた。

首尾よく生きた一羽を生け捕りにした。

さすがは私。ワイルドな性癖は健在だ。

ただ、手にニワトリを持つ姿を夫似の召使と白虎王子に見られ、少々気まずかった。

ところで、隼の居場所が分からない。

皇帝に教えていただこうと、皇帝を捜して広い王宮内を歩き回った。

廊下を歩き、皇帝の寝所に辿り着いた。

以前、皇帝の寵愛を受けた思い出深い寝室だ。

自然と足が向いた。

だが、そこに皇帝はおられなかった。

残念だ。

別の部屋を探した。

手にしていたニワトリがバサバサと羽ばたいて邪魔だ。

それを持つのが鬱陶しくなり、庭に放り投げた。

どのみち、隼が見つけて飛べない鳥を始末するだろう。

解放されたニワトリは、バタバタと宙を羽ばたき、着地した。

そして、せわしなく庭を縦横無尽に走り回った。

皇帝が政務を行う場所に移動した。

移動しながら、皇帝の顔と姿を思い浮かべた。

凜々りりしい顔に、すらりとした背恰好。

ああ、たまらない。

口の中に唾がたまる。

政務部屋に召使が二人いた。

そのうちの、背の高い召使に訊ねた。

「皇帝は今、ここにおいでか」

「いいえ。ついさきほどまではおられました。今、用を足しておられます」

「ここで待っておれば、戻って来られる?」

「そうでございます。陛下はもうじきここへ」

「分かったわ」

私は部屋の外で待った。

「やっと皇帝に会えるわ」

期待に胸が高まり、心は打ち震えた。

皇帝にお会いできたら、庭をご覧いただこう。

哀れな獲物が何も知らずに走り回っている。

そのうち、隼がやって来るに違いない。

舞い降りた隼が野性むき出しでニワトリを襲い、食べる。

その様を目にした皇帝は、隼の元気な姿を見て、喜ばれるだろう。

皇帝は、ニワトリを放った人間を訊ねる。

それが私だと分かると、とても満足した笑みを浮かべる。

そして、今夜、ご満悦の皇帝に強く抱かれるんだわ。

そこまでのストーリーを思い浮かべ、ちょっと陶酔の境地に浸った。

不意に、庭から、ギャーと獣の声が響いた。

庭に面した廊下から見えた。

たしかに、皇帝の飼っている隼が空から舞い降りた。

隼は、その鋭利な鉤爪かぎづめでニワトリを地面に押さえつけ、

鋭く硬い嘴くちばしで、ニワトリの喉をかき切ろうと、噛みついた。

結果を知りたい気持ちと、ニワトリの哀れな最期を見届けたくない気持ち。

相反する気持ちが心の中で渦巻いた。

結果、手で視界を遮った。

あまり、血まみれのニワトリは見たくなかった。

ギャアー、オオーン。

ニワトリの断末魔が庭に轟く。

隼は冷徹にニワトリを殺した。

ようやく手をどかした。

赤い血を滴らせ、隼は獲物の肉を旨そうについばんでいた。

ゴッ、ゴッ、ゴッ。隼の短い鳴き声が耳に届いた。

命を奪うまでは声を立てず、殺したあとで食べるときに鳴き声を発した。

それは、ご馳走にありつけた喜びと興奮の表現のように思えた。

「それでいいのよ。こうなるために、ニワトリを庭に放ったんだもの」

しばらくして、背の高い召使が現れ、私を呼んだ。

「梅皇貴妃。すぐに皇帝陛下のところへお越しください」

「え? むしろ私の方が皇帝を探していたのですが。皇帝は今、いずこに?」

背の高い召使は一礼し、こう言った。

「今から私が案内いたします。ついてきてくださいませ」

召使に連れられ、また広い屋敷を移動することになった。

すぐに庭に面した部屋に着いた。

そこでイスに腰かけた人物がいた。

皇帝である。

菱形の帽子に紐飾りをぶら下げている。

いつ見ても、神々こうごうしい。

ああ、今すぐにでも抱かれたい。

皇帝はイスに深く腰かけ、庭を見つめていた。

私に気付くと、こちらを見た。

少し、表情が曇っている。

「梅皇貴妃。そなた、ずいぶんなことをしでかしおったのじゃな」

「皇帝。何のことを仰って?」

「この者たちから聞いたぞよ。食用のニワトリを庭に放ったと。いったい、どういうことじゃ?」

皇帝の口調は明らかに怒気を含んでいた。

皇帝の後ろに、白虎王子と夫似の召使が床に正座していた。

彼らは顎を引き、こちらを見ていた。

私はすべて、理解した。

やはり、ニワトリを持つ姿を見られたのはよくなかった。

「ああ、しまった。あの二人がいる。ということは、私がニワトリを庭に逃がしたのを密告したのか。クッソ」

心の中で後悔した。

もう遅かった。地団駄を踏みたかった。

ダメモトで弁解してみた。

「いえ、違います。私はただ、皇帝陛下のお喜びになる顔を見たい一心で、料理人からニワトリを借りて隼の餌にしようと……」

言葉の語尾にかぶせるように、厳しい皇帝の言葉が耳をつんざいた。

「聞きとうないわ。愚か者。朕の大事にしておる隼にはちゃんと飼育係がおる。一日に二度、餌を与えておる。つまらぬことをするではない」

ふだんは温厚な皇帝にしては、たいそうな怒りようだ。

愛するお方の怒りと叱責の言葉が、体に刺さった。

私は唇を噛み、下を向いた。とても悔しかった。

夫似の召使にそそのかされたこと。

周富徳に似た料理人に、ダメだ、これは食事に使う、と断られたこと。

食用と分かっておきながら、隙を見てニワトリを生け捕ったこと。

皇帝への説明の前に、庭に放ち、こうして誤解させてしまっていること。

すべてがだれかに仕組まれた罠にかかったようだ。

だれ? そう。

そこで横を向き、狡猾に笑う召使。夫似の召使が悪いのだ。

「す、すみません。私の考えが浅はかで」

「もう、よい。下がれ。料理人には言うておく。そなたを第二夫人から外す」

「陛下。お許しください」

「ダメじゃ。そなたは窃盗罪の罰を受けよ。しばらく、牢屋で頭を冷やせ」

「な、なんと!」

皇帝の命令に私を顔を上げ、驚いた。

自分のしたこととは言え、ニワトリ一羽で窃盗罪。牢屋に投獄とは──。

その言葉を待っていたかのように、武器を携帯した屈強な衛兵二人がずいと前に出た。

二人は私の両側から羽交い締めにし、私を連れ去った。

「こ、皇帝。後生です。どうか、お許しをー!」

振り向いて叫んだ。

皇帝は憤然と立ち上がり、その部屋を出て行った。

庭では、まだ隼が旨そうにニワトリの肉をついばんでいた。

おまえが喜んで、皇帝も喜ぶのではなかったのか。

隼にこぼしても、しかたのないことだ。

皇帝は喜ぶどころか、たいそう怒っていた。

これでは、しばらく私をお許しにならないだろう。

私の後ろで、イッヒッヒヒと笑い声が聞こえた。

夫似の召使だ。

あれほど、私の身の回りをせっせとしてくれた召使。

彼は皇帝の寵愛を引き合いに出し、私の気持ちを思いやってくれた。

そんな風に思った私がバカだった。

私は罰せられても構わない。

けれど、それですむのか。

もしかして、よからぬことが起きなければよいが。

さまざまな感情と邪推が頭の中を嵐のように駆け巡った。

心を落ち着けたときには、すでに石段を一段ずつ降りていた。

石の冷たさと、じめじめした湿気が気になった。

「さ、入れ」

皇貴妃より身分の低いえいへいは、皇帝の命令だからか、ずいぶんと横柄な態度だった。

暗くて冷たい地下牢に閉じ込め、衛兵は鍵をかけた。

鉄格子の牢屋に入れられた。

この世界に来て、初めてのピンチだ。

石組みの床は座ると冷たそうだ。

しばらく立っていた。

「だれか、来て。私を外へ出しなさい」

懇願と命令の言葉が地下牢に木霊する。

だれも助けには来ない。

鉄格子には、大きな錠前がかけられていた。

それを外すことができれば脱出できる。

しかし、錠前は硬くて頑丈だ。

ここは、逃げ出す気力を奪う堅牢さだ。

白虎王子には罪はない。

おそらく、たまたまニワトリ生け捕りの現場に夫似の召使とともに居合わせたのだろう。

そして、自分の双眸そうぼうで見た事実をありのままに皇帝に話した。

もしくは、夫似の召使がすべてを皇帝に話し、白虎王子に同意を求めたとか。

王子はうんうんと、ただ頷いたとか。

いずれにせよ、私は食用ニワトリの窃盗罪で、地下の牢屋に何日もの間、幽閉された。

私は神に祈った。

「どうか、神よ。私を救いたまえ。罪の一部は反省するが、本当に悪い人間を裁いてくれ」

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