ログイン「皇帝陛下、皇帝陛下。いずこに?」
私は廊下を歩き、皇帝を捜していた。
「皇帝陛下。梅皇貴妃が隼の餌を持ってきましたよ」
しーんとしている。廊下をすたすたと歩く音と私の呼び声。それだけが響く。
中国の王宮は静寂を好むのか。
騒がしさとは無縁のようだ。
「だれかおらぬか? 皇貴妃じゃ。梅妃が皇帝を捜しておる」
中国の王宮で暮らす私の身分は皇貴妃。
現世の主婦から貴族へと華麗に転身、異世界転移して第二夫人の体になった。
姿は現生の私とほぼ変わらない。
現世に夫を残して未練はないが、皇帝の愛がほしい。
夫似の召使にそそのかされた。
皇帝の寵愛を得たいなら、皇帝が愛玩する隼の喜ぶニワトリを園庭に放ちなされ、と。
単純な私は、それがいいと思った。
生きたニワトリをゲットしに、厨房の裏へ行った。
そこには大きな竹籠があり、中に生きたニワトリがたくさんいた。
首尾よく生きた一羽を生け捕りにした。
さすがは私。ワイルドな性癖は健在だ。
ただ、手にニワトリを持つ姿を夫似の召使と白虎王子に見られ、少々気まずかった。
ところで、隼の居場所が分からない。
皇帝に教えていただこうと、皇帝を捜して広い王宮内を歩き回った。
廊下を歩き、皇帝の寝所に辿り着いた。
以前、皇帝の寵愛を受けた思い出深い寝室だ。
自然と足が向いた。
だが、そこに皇帝はおられなかった。
残念だ。
別の部屋を探した。
手にしていたニワトリがバサバサと羽ばたいて邪魔だ。
それを持つのが鬱陶しくなり、庭に放り投げた。
どのみち、隼が見つけて飛べない鳥を始末するだろう。
解放されたニワトリは、バタバタと宙を羽ばたき、着地した。
そして、せわしなく庭を縦横無尽に走り回った。
皇帝が政務を行う場所に移動した。
移動しながら、皇帝の顔と姿を思い浮かべた。
ああ、たまらない。
口の中に唾がたまる。
政務部屋に召使が二人いた。
そのうちの、背の高い召使に訊ねた。
「皇帝は今、ここにおいでか」
「いいえ。ついさきほどまではおられました。今、用を足しておられます」
「ここで待っておれば、戻って来られる?」
「そうでございます。陛下はもうじきここへ」
「分かったわ」
私は部屋の外で待った。
「やっと皇帝に会えるわ」
期待に胸が高まり、心は打ち震えた。
皇帝にお会いできたら、庭をご覧いただこう。
哀れな獲物が何も知らずに走り回っている。
そのうち、隼がやって来るに違いない。
舞い降りた隼が野性むき出しでニワトリを襲い、食べる。
その様を目にした皇帝は、隼の元気な姿を見て、喜ばれるだろう。
皇帝は、ニワトリを放った人間を訊ねる。
それが私だと分かると、とても満足した笑みを浮かべる。
そして、今夜、ご満悦の皇帝に強く抱かれるんだわ。
そこまでのストーリーを思い浮かべ、ちょっと陶酔の境地に浸った。
不意に、庭から、ギャーと獣の声が響いた。
庭に面した廊下から見えた。
たしかに、皇帝の飼っている隼が空から舞い降りた。
隼は、その鋭利な
鋭く硬い
結果を知りたい気持ちと、ニワトリの哀れな最期を見届けたくない気持ち。
相反する気持ちが心の中で渦巻いた。
結果、手で視界を遮った。
あまり、血まみれのニワトリは見たくなかった。
ギャアー、オオーン。
ニワトリの断末魔が庭に轟く。
隼は冷徹にニワトリを殺した。
ようやく手をどかした。
赤い血を滴らせ、隼は獲物の肉を旨そうについばんでいた。
ゴッ、ゴッ、ゴッ。隼の短い鳴き声が耳に届いた。
命を奪うまでは声を立てず、殺したあとで食べるときに鳴き声を発した。
それは、ご馳走にありつけた喜びと興奮の表現のように思えた。
「それでいいのよ。こうなるために、ニワトリを庭に放ったんだもの」
しばらくして、背の高い召使が現れ、私を呼んだ。
「梅皇貴妃。すぐに皇帝陛下のところへお越しください」
「え? むしろ私の方が皇帝を探していたのですが。皇帝は今、いずこに?」
背の高い召使は一礼し、こう言った。
「今から私が案内いたします。ついてきてくださいませ」
召使に連れられ、また広い屋敷を移動することになった。
すぐに庭に面した部屋に着いた。
そこでイスに腰かけた人物がいた。
皇帝である。
菱形の帽子に紐飾りをぶら下げている。
いつ見ても、
ああ、今すぐにでも抱かれたい。
皇帝はイスに深く腰かけ、庭を見つめていた。
私に気付くと、こちらを見た。
少し、表情が曇っている。
「梅皇貴妃。そなた、ずいぶんなことをしでかしおったのじゃな」
「皇帝。何のことを仰って?」
「この者たちから聞いたぞよ。食用のニワトリを庭に放ったと。いったい、どういうことじゃ?」
皇帝の口調は明らかに怒気を含んでいた。
皇帝の後ろに、白虎王子と夫似の召使が床に正座していた。
彼らは顎を引き、こちらを見ていた。
私はすべて、理解した。
やはり、ニワトリを持つ姿を見られたのはよくなかった。
「ああ、しまった。あの二人がいる。ということは、私がニワトリを庭に逃がしたのを密告したのか。クッソ」
心の中で後悔した。
もう遅かった。地団駄を踏みたかった。
ダメモトで弁解してみた。
「いえ、違います。私はただ、皇帝陛下のお喜びになる顔を見たい一心で、料理人からニワトリを借りて隼の餌にしようと……」
言葉の語尾にかぶせるように、厳しい皇帝の言葉が耳をつんざいた。
「聞きとうないわ。愚か者。朕の大事にしておる隼にはちゃんと飼育係がおる。一日に二度、餌を与えておる。つまらぬことをするではない」
ふだんは温厚な皇帝にしては、たいそうな怒りようだ。
愛するお方の怒りと叱責の言葉が、体に刺さった。
私は唇を噛み、下を向いた。とても悔しかった。
夫似の召使にそそのかされたこと。
周富徳に似た料理人に、ダメだ、これは食事に使う、と断られたこと。
食用と分かっておきながら、隙を見てニワトリを生け捕ったこと。
皇帝への説明の前に、庭に放ち、こうして誤解させてしまっていること。
すべてがだれかに仕組まれた罠にかかったようだ。
だれ? そう。
そこで横を向き、狡猾に笑う召使。夫似の召使が悪いのだ。
「す、すみません。私の考えが浅はかで」
「もう、よい。下がれ。料理人には言うておく。そなたを第二夫人から外す」
「陛下。お許しください」
「ダメじゃ。そなたは窃盗罪の罰を受けよ。しばらく、牢屋で頭を冷やせ」
「な、なんと!」
皇帝の命令に私を顔を上げ、驚いた。
自分のしたこととは言え、ニワトリ一羽で窃盗罪。牢屋に投獄とは──。
その言葉を待っていたかのように、武器を携帯した屈強な衛兵二人がずいと前に出た。
二人は私の両側から羽交い締めにし、私を連れ去った。
「こ、皇帝。後生です。どうか、お許しをー!」
振り向いて叫んだ。
皇帝は憤然と立ち上がり、その部屋を出て行った。
庭では、まだ隼が旨そうにニワトリの肉をついばんでいた。
おまえが喜んで、皇帝も喜ぶのではなかったのか。
隼にこぼしても、しかたのないことだ。
皇帝は喜ぶどころか、たいそう怒っていた。
これでは、しばらく私をお許しにならないだろう。
私の後ろで、イッヒッヒヒと笑い声が聞こえた。
夫似の召使だ。
あれほど、私の身の回りをせっせとしてくれた召使。
彼は皇帝の寵愛を引き合いに出し、私の気持ちを思いやってくれた。
そんな風に思った私がバカだった。
私は罰せられても構わない。
けれど、それですむのか。
もしかして、よからぬことが起きなければよいが。
さまざまな感情と邪推が頭の中を嵐のように駆け巡った。
心を落ち着けたときには、すでに石段を一段ずつ降りていた。
石の冷たさと、じめじめした湿気が気になった。
「さ、入れ」
皇貴妃より身分の低いえいへいは、皇帝の命令だからか、ずいぶんと横柄な態度だった。
暗くて冷たい地下牢に閉じ込め、衛兵は鍵をかけた。
鉄格子の牢屋に入れられた。
この世界に来て、初めてのピンチだ。
石組みの床は座ると冷たそうだ。
しばらく立っていた。
「だれか、来て。私を外へ出しなさい」
懇願と命令の言葉が地下牢に木霊する。
だれも助けには来ない。
鉄格子には、大きな錠前がかけられていた。
それを外すことができれば脱出できる。
しかし、錠前は硬くて頑丈だ。
ここは、逃げ出す気力を奪う堅牢さだ。
白虎王子には罪はない。
おそらく、たまたまニワトリ生け捕りの現場に夫似の召使とともに居合わせたのだろう。
そして、自分の
もしくは、夫似の召使がすべてを皇帝に話し、白虎王子に同意を求めたとか。
王子はうんうんと、ただ頷いたとか。
いずれにせよ、私は食用ニワトリの窃盗罪で、地下の牢屋に何日もの間、幽閉された。
私は神に祈った。
「どうか、神よ。私を救いたまえ。罪の一部は反省するが、本当に悪い人間を裁いてくれ」
「なんと! ク、クーデターとは」皇帝の声を遠くで聞いた。大広間は大混乱に陥った。人が入り乱れた。逃げ惑う人、裸足で庭に出る人、人に押し倒されて踏んづけられる人。あちこちで悲鳴と怒号が飛び交った。そのうち、敵軍の武装兵が大広間の入り口から雪崩れ込んできた。乱入した武装兵は雄叫びをあげて刀剣を振りかざした。悲鳴と怒号に雄叫びも加わった。皇帝は驚き、慌てて逃げた。近衛兵を連れて大広間を後にし、庭に出た。池を伝うようにして走った。庭の裏手にある池だ。皇帝はふだんはおっとりしている人だ。しかし、いざとなったら、案外駆け足は速い。刀剣を持った敵兵が遅れて追いかけ、皇帝は着物の裾を手に持って追手よりも速く逃げた。逃げてばかりでは、事態は収まらない。皇帝派の兵士が敵兵の前に立ちはだかった。「待て、待てー。反皇帝派よ。皇帝を追う前に、俺を倒してから行け。いざ、勝負!」「望むところだ。かかってきやがれ!」皇帝派の兵士は長い槍を持って振り回した。武装兵は太い刀剣を構えた。皇帝派の兵士と武装兵。一騎打ちとなった。叫びとともに、槍が刀剣を持つ武装兵に振り下ろされた。激しい火花が散った。カン、カン、カン。何度か、槍と刀剣がぶつかり、金属音を発した。「死ね!」皇帝派の槍が甲冑の隙間をついた。槍は武装兵の腹に突き刺さった。相手は、槍に手を添えた。抜こうとしたのか。無駄だった。槍は懐深くまで入ったようだった。ぐへっ。ぬおっ。
「今日がXデーよ。クーデターが起こるんだわ」着物の裾を手で持ち、必死で走った。皇帝が危ない。夫似の召使がクーデターを起こそうとしている。事態は風雲急を告げている。髪を振り乱し、ドタドタと廊下を駆け抜けた。「全員が大広間に会するなら、クーデターを起こすにはもってこいじゃん」梅妃としてこの世界に暮らす私は焦っていた。大広間まであと少しだ。「早く、大広間へ行かないと」やばい。とにかく、やばい。夫似の召使が反皇帝派を指揮し、武装した軍勢が大広間に雪崩れ込む絵がありありと浮かんだ。そんなことが現実になれば、皇帝派は一網打尽になる。多くの犠牲者が出るのは火を見るよりも明らかである。大広間に着いた。肩で息をした。すでに天下統一記念日の宴が行われていた。扉は開け放たれ、ワイワイガヤガヤと賑やかな声が響いていた。宴を楽しむ人々が笑顔で集っていた。綺麗な服を着た数人の女性が薄い着物で舞っている。大きな机には、お酒と食べ物が並んでいた。皇帝と夫人らはイスに座り、和やかな表情で、じつに楽しそうに食事をとっていた。皇帝はご満悦で、第二夫人となった郭貴妃に話しかけている。郭貴妃はいつにもまして、美しい。その妖艶な美貌を活用し、この一週間で皇帝を骨抜きにしたのか。美人の魅力は恐ろしい。郭貴妃が色仕掛けで皇帝に迫り、皇帝の秘密を夫似の召使に漏らしているとしたら。郭貴妃は召使に操られ、皇帝を油断させる女。そんな風にして郭貴妃を陰で操り、夫似の召使は政権転覆を実行に移すつもりだ。皇帝はまったく警戒していない。大きな口を開け、笑っている。いつものように優雅な音楽が奏でられ、楽しい宴が進行していた。それが皇帝を襲う最大のチャンスになっているとも知らずに。目の前には、そんな風な優雅な宴の様子が見えた。乱れた呼吸を整えた。息を吸い込み、大声を出した。「たいへんよ。宴どころじゃ、ないわ。早く中止して!」私は中に入り、叫んだ。「これは梅皇貴妃。いえ、梅貴妃。どうしたと言うの?」郭皇貴妃が袖で口を隠しながら、笑った。この人はクーデターのことを承知している。陰謀を知る側の反皇帝派と言える。「やめてください。もうすぐ、血の雨が降るわ!」私は必死の形相で訴えた。しかし、みんなは笑顔で飲み食いし、だれも私の話を信用しない。それはそうだろ
現世ではパートをする平凡な主婦だった私。ところが、ひょんなきっかけで、中世あたりの中国の宮廷に紛れ込んでしまった。梅本の名前のせいか、梅后貴妃として転移したようだ。身の回りの世話は、現世の夫に似た召使らがかいがいしくしてくれる。実にいい身分だ。そんな暮らしも長く続かない。第二夫人として暮らしていたある日、夫似の召使に裏切られた。悪い召使の奸計にはまり、皇帝の怒りを買った。籠に入っていたニワトリを庭に放ったせいで、窃盗罪を言い渡された。私は地下牢に幽閉された。鉄格子の中で過ごすのは苦しかった。とても辛かった。水しか与えられず、インコ以下の扱い。本当に死にそうだった。掛け値なしで、骨が浮き立つほど、痩せ細った。まさに生死の境をさまよった。そこへ味方が現れた。悪い召使に離縁された元妻だ。私は、元妻の目を見て信じた。この人なら聞き入れてくれる、と。元妻に、皇帝への愛と、夫似の召使の罠にはまった事情を丁寧に説明した。元妻は私の話をよく聞き入れ、同情してくれた。彼女は、どこで手に入れたのか、合鍵で解錠してくれた。命からがら地下牢を脱出し、屋敷に戻った。脱出前に彼女から聞かされた。夫似の召使はクーデターを企てている。かねてより反皇帝派を秘密裏に組織して扇動し、チャンスを窺っている。私を第二夫人の座から降格させたくて、私に罠を仕掛けた。そして、自分の愛人である第三夫人の郭貴妃を第二夫人に据える。美しい郭貴妃。その美貌を利用する。妖艶で美人の郭妃に色仕掛けを行わせ、皇帝を骨抜きにして油断させる。そんな風にして、郭妃を陰で操りながら政権転覆を容易に実行可能にする。そういう状況でXデーを迎え、結集した反皇帝派を指揮して、クーデターを成功に導こうとしている。元妻の激白に、驚きを隠せなかった。彼女の言葉が頭の中でガンガンと音を立てて響いた。あんな冴えないひげ面の小男が、そんな大それたことを考えるのか。皇帝を追放するか、殺してしまうのか。その後、自分がこの国の皇帝に即位する?あり得ない。とんでもない話である。私は逃げながら、心の中でひどく憤慨した。自由の身になった今こそ、一刻も早く、皇帝の耳にその情報を届けたい。皇帝に身の危険が迫っているのを知らせ、皇帝の命を救いたい。皇帝のことを悪く思う人間がそ
「皇帝陛下、どうか、私の話を聞いてください。陛下」王宮に暮らして、のほほんと優雅な第二夫人の座に甘んじていたら、牢屋に閉じ込められた。まさに、天国から地獄へ突き落された。なかなか上手くは行かないもんだ。そりゃ、私が悪いのよ。食用に使うニワトリ一羽を籠から失敬して庭に放ったんだもん。でもね、でもね。聞いてほしいの。私が一人で考えてやったんじゃないの。私の頭ではそんな大それたこと、及びもつかないわ。夫似の召使が、私に言ったの。そうすれば隼の餌になって喜ぶ。隼が喜べば、それを飼う皇帝も喜ぶ。そう言うもんだから、皇帝の愛ほしさに頭のネジがゆるんで、そんなことをしでかしたのよ。それなのに、あの召使は私が厨房裏の竹籠からニワトリを逃したのを目撃し、皇帝に告げ口した。自分で焚きつけといて、チクルってさ。なんてひどい召使だこと。元に戻ったら、許さないから。心の叫びをだれかに聞いてほしかった。皇帝は召使の言いなりになって、私を第二夫人から外した。代わりに、第三夫人の郭貴妃を第二夫人に昇格させた。本当にそれでよかったのかしら。もっと恐ろしいようなことが潜んでいそうな気がするんだけど。王朝のすべてが詰まった舞台で、愛と欲が蠢いている不吉な予感がした。嫌な予感が外れてくれたら、いいのに。私は私で、そっとここで刑に服するだけなのだが。中国の王宮で暮らす私。第二夫人である皇貴妃の身分で皇帝の愛を受け入れた。皇帝とお目にかかり、皇帝の寝所で初めて皇帝に愛された。この体になって、皇貴妃として、女として、愛の悦びに浸った。皇帝は隼とニワトリの件で召使の話を信用し、お怒りになられた。「食用のニワトリを庭に逃がすとは、けしからん」皇帝は怒りの形相で、私に窃盗罪を言い渡した。むりもない。私だって、同じ立場なら怒っただろう。罪をつぐなわせただろう。皇帝の衛兵に腕をつかまれ、地下にある牢屋に連れて行かれた。私は、「これには事情があります」と訴えたのも及ばず、牢屋に閉じ込められた。なんということだろうか──。そんなことをつらつら考えても、だれもここに来ない。そりゃ、そうだ。暗くて寒い地下牢。ここは、ジメジメして心細い。たいそう心が落ち込む。こんな場所に、仕事以外で来る人間などいないだろう。人の
「皇帝陛下、皇帝陛下。いずこに?」私は廊下を歩き、皇帝を捜していた。「皇帝陛下。梅皇貴妃が隼の餌を持ってきましたよ」しーんとしている。廊下をすたすたと歩く音と私の呼び声。それだけが響く。中国の王宮は静寂を好むのか。騒がしさとは無縁のようだ。「だれかおらぬか? 皇貴妃じゃ。梅妃が皇帝を捜しておる」中国の王宮で暮らす私の身分は皇貴妃。現世の主婦から貴族へと華麗に転身、異世界転移して第二夫人の体になった。姿は現生の私とほぼ変わらない。現世に夫を残して未練はないが、皇帝の愛がほしい。夫似の召使にそそのかされた。皇帝の寵愛を得たいなら、皇帝が愛玩する隼の喜ぶニワトリを園庭に放ちなされ、と。単純な私は、それがいいと思った。生きたニワトリをゲットしに、厨房の裏へ行った。そこには大きな竹籠があり、中に生きたニワトリがたくさんいた。首尾よく生きた一羽を生け捕りにした。さすがは私。ワイルドな性癖は健在だ。ただ、手にニワトリを持つ姿を夫似の召使と白虎王子に見られ、少々気まずかった。ところで、隼の居場所が分からない。皇帝に教えていただこうと、皇帝を捜して広い王宮内を歩き回った。廊下を歩き、皇帝の寝所に辿り着いた。以前、皇帝の寵愛を受けた思い出深い寝室だ。自然と足が向いた。だが、そこに皇帝はおられなかった。残念だ。別の部屋を探した。手にしていたニワトリがバサバサと羽ばたいて邪魔だ。それを持つのが鬱陶しくなり、庭に放り投げた。どのみち、隼が見つけて飛べない鳥を始末するだろう。解放されたニワトリは、バタバタと宙を羽ばたき、着地した。そして、せわしなく庭を縦横無尽に走り回った。皇帝が政務を行う場所に移動した。移動しながら、皇帝の顔と姿を思い浮かべた。凜々しい顔に、すらりとした背恰好。ああ、たまらない。口の中に唾がたまる。政務部屋に召使が二人いた。そのうちの、背の高い召使に訊ねた。「皇帝は今、ここにおいでか」「いいえ。ついさきほどまではおられました。今、用を足しておられます」「ここで待っておれば、戻って来られる?」「そうでございます。陛下はもうじきここへ」「分かったわ」私は部屋の外で待った。「やっと皇帝に会えるわ」期待に胸が高まり、心は打ち震えた。皇帝にお会いできたら、庭をご覧いただこう。哀れな
中国の王宮で暮らし、しばらくたった。 梅皇貴妃と呼ばれる私は、第二夫人として、宮中でそれらしく振る舞った。 その身分を受け入れ、貴婦人らしく振る舞いさえすれば、何不自由のない豪奢な生活を送れた。 現世ではただの主婦だったから、気持ちのいいことこの上ない。 本来はその世界の住人でなく、中国だの、宮中だの、何も知らない。 知らなくても、ここの人は皇貴妃だと言い、すり替わったことを疑わない。 元のままだと信じる人がいるなら、演じるだけだ。 お陰で中国の王宮生活にも慣れ、かなりいい気になっていた。 私は貴婦人である。皇貴妃という身分は、皇帝の愛を受け入れる二番目の夫人らしい。 皇后は上から目線で来るけれど、私を冷たく扱うことはなかった。 他の夫人たちは、一様に私に頭を下げる。身分が違っても、それほど露骨な差はないのかもしれない。 私も他の夫人を邪険にすることはなかった。 第二夫人ならば、できるだけ早く、できるだけ多く、皇帝の寵愛を受けたい。 女の性だ。 自分としては、皇帝に尽くすことが仕事だと考えた。 綺麗に見せるのも、美しく着飾るのも、極言すれば皇帝の愛を受けるためと言ってよい。 夫似の召使が私に近づいたのは、王宮に来て四日目の朝だった。 「梅妃様。よいことがございます」 「何じゃ?」 その頃には、私は夫似の召使と気心が知れていた。 その召使は、顔といい、声といい、愚夫によく似ていた。 その影響もあり、夫似の召使に信頼を寄せていた。知らない王宮に来て、いろいろしてくれる召使に、妙な親近感を覚えていた。 召使は周囲を窺い、さっと近寄って私に耳打ちした。 「皇帝のお気に入りはご存じでしょう」 「と言うと?」 私は知らないのに、複数のお気に入りがあるように取り繕った。 「空を舞う|隼かっこはやぶさ》でございます」 夫似の召使は狡そうに笑った。 「ああ、あの鳥のことか。たしかに皇帝は隼を可愛がり、天塩にかけて育てておられる」 さも知っているような口調で話を合わせた。 おまけに、召使にウインクして私も声を落として話した。 我ながら、図々しい神経と調子のいい性格の持ち主だ。フフフ。 「はい。もっとも、餌やりやフンの始末は、私どもの仕事ではございますが」 「それで、何が言いたいの